Diario di Carta-Studio 小さな工房の日記

日々の出来事、作品作り、美術品修復に関することなどを綴ります

語学の勉強を続ける意味って?

最近ちょっと考えていることについて。

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イタリア ピノッキオ公園(Parco di Pinocchio)

 

私がイタリアに留学をしていたのは2004年の1年間です。

16年前のことなんだ、とちょっと驚いています。

毎年、季節の行事やお誕生日にはイタリアの友人に連絡をしているの

ですが、今年は、とくに頻繁にやり取りをしていました。

お互いの近況、それぞれの国の状況などとにかく今年は今までとは

異なる状況の中で、連絡を取り合う機会が増えました。

メールやチャットなどでのやり取りの場合、少し時間をおいて

文章を書いてもそれほど気にはならないのですが、(あまり

遅すぎると「聞いてるの?」とか「いるの?」とか聞かれますけど...)

直接話をすると、うまく言葉が出てこないことにびっくりします。

 

留学していた時から16年、イタリア語教室に通っていた時期もあります

が、今はほとんどイタリア語に触れることもなく、英語をときどき使う

ことがある程度で、とにかく日本語以外を使う機会がほとんどありませ

んでした。

 

そんな中、久しぶりに日本に住んでいるイタリア人の知人と話す機会が

あり、私の忘れかけたイタリア語よりも、以前よりも日本語がうまく

なった知人に甘え、ほとんど日本語で会話をしてきました。

会話が終わった後、ほとんど日本語で話していた自分にがっかりしてし

まいました。

あんなにイタリア語の勉強を頑張ったのに、留学後もイタリア語教室に

通って維持しようとしていたのに、なんだ、この状態は...と。

 

そこで、そもそも語学の勉強を続ける意味ってなんだろうと、考えて

みました。

もちろん、人それぞれの理由があると思います。

仕事で必要な方、お友達との交流のため、海外で勉強するため、旅行を

するため。

私は、お友達と連絡を取り続けることとせっかく勉強したのだから

維持したいという思いから、勉強を続けていました。

ここで一つ問題なのは、友人との連絡は何となくできてしまうことです。

自分の言いたいことを分かってもらえる安心感や、日々の生活に大きな

変化がないといつも似たような会話ですんでしまうこと。

それで連絡が取り合えてしまったので、なんとなく語学力が維持できて

いると思ってしまったこと。

こういったことと仕事が忙しいなどを言い訳に、現状を変えようとしな

かったこと。

それが、今回イタリア語をすっかり忘れているという現実につながりま

した。

言葉は手段であって目的ではない、と常々思っているのですが、

手段は日々の継続があって使えるもので、何もしなければできない

ことを忘れていました。

日本語だって、人と話す機会が減れば下手になるし

文章を書くことも上手にできません。

 

語学の勉強に限らず、ダイエットなども継続してこそ結果がでるもので

短期的に頑張ってもすぐに元に戻ってしまうことがほとんどです。

一夜漬けの勉強はすぐに忘れてしまうように...。

 

いろいろなサイトで語学の勉強方法、習慣にする方法など書かれていま

す。

分かっているんだけど、できないのよね、と言っている方も多いと思い

ます。私もその一人です。

結局、なんのためにそれをするのか、という目的がはっきりしないこと

が、続けられない言い訳になってしまうのだろうなと考えています。

ここまで書いて、結局私はどうするのか、ということなのですが

情けない思いをし、この気持ちのまま年を重ねたくはないので、

心機一転、せめて近況を話せるくらいにはなりたいと思います。

 

とりあえず、キクタンなど単語の復習からはじめようと思います。

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ポンテヴェッキオ (Ponte Vecchio)

 

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イタリアの思い出ということで。

また行きたいなあ